教会の歴史

1962/11/11
北白川バプテスト教会総会で京都市北部への伝道を主目的に伝道所開設が決議される。
12/2
トム正木宣教師宅(上緑町)2階を集会場に礼拝スタート;京北バプテスト伝道所と称す。
1963/2/27
京北伝道所の初の祈祷会(毎水曜日7時30分~ 定期的に開かれる。)
1964/10/14
連盟から土地購入予算が承認され現在(北山通り)の土地購入(92坪)。
1965/4/4
西南学院神学部卒業の浜崎英一師を京北伝道所の副牧師とて招聘。
4/25
会堂建設のためのブロック6000個を教会員自らの手で造り始める。
12/14
新会堂完成。田中工務店から建物の引き渡しが終わり、最初の集会;祈祷会(水)を行う。
1966/1/2
京北バプテスト伝道所で最初の主日礼拝を捧げる。
4/17
京北バプテスト伝道所で新会堂献堂式
10/27
北山バプテスト伝道所と改名し、教会組織への準備開始。
1967/9/3
浜崎副牧師は京都バプテスト教会大津伝道所に転出される。
1968/10/27
北山バプテスト教会として教会組織会議実施;トム正木初代牧師招聘、教会員数61名。
11/24
第1回北山バプテスト教会総会にてトム正木牧師(初代)を承認。
1969/2/9
保田井バプテスト病院牧師を協力牧師として招聘。
1971/2/1
トム正木牧師辞任
4/2
千綿一哉牧師;佐賀県嬉野バプテスト教会から北山教会に赴任。
1972/1/16
千綿一哉牧師(2代目);北山バプテスト教会牧師として就任。
2/13
<年度目標>3全運動の奨励;全員聖日礼拝参加、全員月約献金、全員伝道 
1978/10/28~29
10周年記念特別伝道集会と感謝礼拝実施。記念誌発刊(12月)。
1981/10/4
増改築計画についての臨時総会を開く。
1982/7/18
特別臨時総会で全面改築(現在の建物を取り壊し新たに鉄筋コンクリート総二階建)を決議。
1983/5/1
臨時総会・会堂建築構造・設計について;討議後の投票結果、修正案の坂本設計案採用決議。
7/18
新会堂建築工事始まる。工事期間中(7/18~12/18)フレンドシップハウスで礼拝・夕礼拝守る。
12/12
新会堂完成
12/21
新会堂ホールにおいて感謝祈祷会が行われる。
1984/1/15
平沢茂先生を協力牧師として就任
1/29
北山バプテスト教会 新会堂献堂式;大雪の中を挙行、約130名参加。
1988/10/28~30
20周年記念特別伝道集会と感謝礼拝実施。記念誌発刊(10月)。
1998/10/25
30周年記念感謝礼拝実施。記念誌発刊(10月)。
2000/3
千綿一哉牧師辞任
2000/5
枝光 泉牧師就任(3代目);北山バプテスト教会牧師として就任。
2008/10
40周年記念感謝礼拝実施;参加人数   名。
2009/3
枝光 泉牧師辞任
2011/5
木原 桂二牧師就任(4代目);北山バプテスト教会牧師として就任。
2012/11/1
脱原発の意思表明として教会屋根に太陽光パネル設置。
2013/4
伊藤 總協力牧師就任
2018/10
50周年記念感謝礼拝及び記念誌発刊予定。


1953年8月、京都で開催された日本バプテスト連盟第7回年次総会において病院の開設が決議され、これに応えて米国南部バプテスト連盟諸教会の祈りと献金、優れた人材の派遣によって、1954年、財団法人日本バプテスト連盟医療団が設立され、翌1955年7月、日本バプテスト病院が開設されました。
米国南部バプテスト連盟の医療宣教団の一員として、Hospital Administrative Trainingを受けていたトム正木宣教師は、ベティ婦人と共に1956年6月から1958年6月まで東京で過ごされ、1958年7月に京都の日本バプテスト病院に派遣されました。一時帰国されていたバプテスト病院院長の.C.Fクラーク医師の自宅(後の北白川バプテスト教会)に一年間仮住まいしながら、京都バプテスト教会(当時京都に唯一のバプテスト教会)で聖書研究会を金曜日の夜に数人で行っていました。
その年の暮れ、京都バプテスト教会は、北白川バプテスト伝道所を正式に始める決議をし、トム正木宣教師が初代牧師として就任されました。トム正木宣教師は、バプテスト病院の協力事務長としての仕事の他に、北白川伝道所の牧師としても働きながら、開拓伝道の土地探しや宣教団の住まいの建設などに奔走されていました。
ある日、土地探しのために車でドライブしていると、北区紫竹上緑町で500坪の空地を見つけ、誰の土地かを近所の方に尋ねると、「林さん」のものだとわかりましたが、近所の噂ではどんな良い条件がつけられても、林さんは決して売らないでしょうということでした。当時、病院の事務長であったS氏と二人で、林さんを鰻で有名なレストランに招待しました。おいしい鰻の上でも食べてもらい、難しい土地の話を始めようとしますと、林さんの方からこう言われたのです。「私はある夢を見ました。その夢の中である人が私にこう言いました。あなたの所に、ある方が上緑町の土地を求めて来られます。その人に土地を分けてやりなさい」と。
主には不可能はありません(ルカ1:37)。林さんの方で「坪6000円で200坪」を提供され買うことができました。こうしてトム&ベティ正木夫妻は、Dr.クラーク一家が休暇から帰られるまでに、上緑町に引っ越しすることができました。その後、北白川伝道所も成長を続け、1961年2月20日には、北白川バプテスト教会として教会組織され、1962年11月11日、北白川バプテスト教会の総会で新しい開拓が承認され、同年12月2日に最初の礼拝が上緑町の正木牧師宅(京北伝道所)で始まりました。
正木牧師は、病院への通勤に普段は北大路通りを通っていましたが時々北山通りも利用していました。まだ植物園の裏通りは舗装されていないデコボコ道でした。1961年、休暇でアメリカに帰る前のこと、病院へ行く途中、自動車を北山通りに止めて祈りました。「神様、この所にあなたの教会の土地をお与え下さい。誰の土地かはわかりませんが、これを私達に与えて下さい。」求めよ、さらば与えられん。(マタイ7:7)。1963年4月17日~20日、全国一斉に「新生運動」が展開され、京都でも天幕を張って大きな集会が開かれ、アメリカからも大勢のクリスチャンが応援に駆け付け、京北伝道所の土台となる約30名の献身者も与えられ、伝道所の基礎ができました。特に正木牧師の妻ベティ姉は最初の集会の夜、バプテスト病院で二男を出産され、そのような中でも新生運動に参加されました。
正木牧師は、バプテスト病院で協力事務長として働きながら、病院は主の働き人を必要としており、そのための人材が起こされるためには、京都にもっと多くの強いバプテスト教会をつくらなければというヴィジョンが起こされ、北区の開拓にすべてを賭ける決心をし、バプテスト病院を辞任されました。そんなある日、先の新生運動で献身された一人の婦人が御主人を正木牧師に紹介されました。その方は当時上鴨警察署の署長で、名前はHさん。そのHさんに正木牧師は北山通りの土地のことを話しました。Hさんは上鴨神社近くで西陣織の下請け製造所(40人位の会社)を経営しているKさんを紹介してくれました。Kさんはその土地の地主Nさんをよくご存じだったからです。
1963年5月9日、Hさんとその土地を見に行った時、「地主Nさんは、この土地700坪を売ってもよろしいです、と言っておりますが如何でしょうか?」。正木牧師は驚きました。しかし、値段が坪9万円と聞き、今の私達にそんな予算はありませんが、予算のある限り、売って頂きたいと応えました。その年の連盟総会に、Hさんは正木牧師のお伴で天城山荘まで行ってくれました。当時の日本バプテスト連盟は全国から土地の申請に対し、その順番を色々な成績によって決めていました。一年に12か所、一千万円の予算を配分していました。毎年の成績と状況によってこれが決まるので、3年~4年は待たなければならないと思っていました。しかしながら、翌年1964年の総会で土地を手に入れることが出来たのです。
当時まだ区画整理が終わっていなかった時でしたが、正木牧師はNさんに、どうぞ教会の横には道路がつく所にしてくださいと頼みました。教会堂の建物は私達の力で建てなければならないと思ってはいましたが、とにかく当時の私達には教会堂を建てる予算はありませんでした。後に100万円の予算を頂きましたが教会堂を建てる予算には程遠い状態でした。
あるリーダースダイジェストを読んだ中に、南アメリカでは、自分達の手でレンガを作っていくことの記事が載っていました。その頃、バプテスト病院の裏山を取りのけていく作業が1955年から始められていました。その砂を大型トラック10台分程、正木牧師の自宅裏庭に運んでもらいました。土地を手にし、砂も運んでもらい、レンガ作りの機械も注文して届きました。最後に、福岡の神学校を卒業された浜崎先生ご夫妻を招くことが決まりました。そして、北白川伝道所を建てた川岸工務店に教会建築を頼んで正木牧師夫妻は、1966年~67年、またアメリカに行くことが決まっていました。その前にレンガ作りのため、いろいろと研究していましたが本当に強いレンガを作る方法は正木牧師達にはわかりませんでした。しかし、ある不思議な事が起こりました。それは私達が京北伝道所を始めた時、日本語礼拝の前に英語礼拝を行っていました。京都はよく外国の観光客が寄る所ですから、毎週英語礼拝の週報も作り、これを各ホテルのロビーに置いていました。それで日曜日には観光の前に礼拝に見えたのです。
1965年10月3日(主日)は、レンガ作りを始める特別な式を行う予定でした。英語礼拝が終わって、次の礼拝の準備をしていると、二人の外人の方が礼拝に見えました。それで、日本語の礼拝が間もなく始まりますが、よければ出席して下さいと勧めますと、喜んで出席してくれました。報告の時、礼拝後にレンガ作りのため、簡単な式を行うので出席してくださいと誘ったところ、彼らはアメリカでレンガ作りの会社の社長とその技師だったのです。その技師が私に尋ねました。あなたはこのレンガの作り方をご存知ですか?私は「いいえ知りません」と言いました。そこで彼は「セメントはこれだけ、砂はこれだけ、水はこれだけ、そして作った物の干し方、水の乾き方など」を教えて下さったのです。その後、その二人に会うことはありませんでしたが、時々、その二人は神様が、私達の所に送って下さったのではないかと思います。北山バプテスト教会が「マタイ28:19~20」を全うするために、天の使いを送られたのでしょう。私達は6000個のレンガを作り、教会堂が出来たのでした。」
北山教会30周年記念誌 「翔」トム&ベティ正木 温故知新より抜粋